2017年3月4日 更新
時々、内田百閒の生家について問い合わせに来られる方がいらっしゃいます。
内田栄造の母峰の弟甚吉は、久保家に養子に入って石原金と結婚しました。
甚吉は、榮造の祖父の外の子です。
夫婦養子で内田家に入る段取りでした。
ところが、諦めていた跡取りの子ども(榮造)が生まれました。
内田家は「酒蔵(志保屋)」、石原家は「醤油屋(石原醤油店)」です。
久保甚吉・金夫婦には、内田家が責任を持って「酢屋(萬年酢)」を創業させる事となります。
創業して直ぐに事業が軌道に乗る事はなく、親戚筋の酢屋からの援助を取り付けたそうです。
が、内田家が潰れました。
内田家では「常日頃から音曲に親しんでいた」と言われています。
が、「毎日のように、音曲に明け暮れていた」と言う表現のほうが相応しいようです。
やむなく、石原家が娘金の為に「酢屋」を支えました。
更に、志保屋の土地を買うようにしました。